歴史と遷宮年表

歴史年表

住吉大神の鎮座から1800年を迎える当社に関わる歴史について紹介します。

211年※ 神功皇后摂政11年 神功皇后、住吉大神を住吉の地に鎮斎(帝王編年記)
※ 住吉大社鎮座伝承における神功皇后摂政十一辛卯年は『帝王編年記』によって推定される西暦を記載する。 実年代の表記については、学術的議論を含むものがあるが、以降の記事においてもこれに準じた
313 仁徳天皇元年 仁徳天皇、難波高津宮に都を定め、この頃に住吉津が定められる (日本書紀)
405 履中天皇6年 鷲住王、住吉邑に居住の記事 (日本書紀)
470 雄略天皇14年 身狭村主青ら、呉国の使者と共に、手末才伎・漢織・呉織などを率いて、住江津に泊る (日本書紀)
540 欽明天皇元年

大伴金村、物部尾輿らに任那四県割譲の責任を問われ、政界を退き住吉の館に引き籠る (日本書紀)
欽明天皇、使を遣して新羅討征のため住江神を祀る (天書)

544 欽明天皇5年 津守連己麻奴跪、遣百済使となる (日本書紀)
607 推古天皇15年 聖徳太子、小野妹子らを遣隋使として発遣 (日本書紀)
630 舒明天皇2年 第一次遣唐使の発遣 (日本書紀)
642 皇極天皇元年 津守連大海、遣高麗使となる (日本書紀)
659 斉明天皇5年 津守連吉祥、遣唐使となる (日本書紀)
684 天武天皇13年 津守連、宿禰姓を賜う (日本書紀)
685 天武天皇14年 天武天皇行幸、神田三十町を寄進 (伊呂波字類抄)
692 持統天皇6年 持統天皇、新羅の調を奉る (日本書紀)
712 和銅5年 『古事記』成立
717 養老元年 津守宿禰池吉、第8次遣唐使の遣唐神主となる(津守氏系図)
718 養老2年 元正天皇行幸 (暦朝御参拝年表)
720 養老4年 『日本書紀』成立
724 神亀元年 聖武天皇行幸 (続日本紀、伊呂波字類抄)
729-49 天平年間 神階 従三位
731 天平3年 津守宿禰嶋麿・津守宿禰客人『住吉大社神代記』撰 (同奥書)
749 天平勝宝元年 住吉社造営記事の初見 (興福寺略年代記)
758 天平宝字2年 孝謙天皇、住吉大神の霊告によって住吉神宮寺を創建 (住吉勘文)
769 神護景雲3年 津守宿禰男足、渤海神主となる (松葉大記・津守氏系図)
770 宝亀元年 称徳天皇、使を遣して神教を住吉神に受ける (続日本紀)
777 宝亀8年 神階 正三位 (続日本紀)
778 宝亀9年 津守宿禰国麿、遣唐使主神となる (続日本紀)
784 延暦3年 神階 従二位 (続日本紀)
789 延暦8年 桓武天皇行幸 (帝王編年記)
801 延暦20年 住吉社神主に把笏がゆるされる (日本紀略)
804 延暦23年 桓武天皇行幸 (伊呂波字類抄)
805 延暦25年

神階 従一位 (日本後紀)

大同元年牒「神封二三九戸、摂津五〇・丹波一・播磨八二・安芸二〇・長門六六戸」(新抄格勅符抄)

812 弘仁3年 神祇官より、住吉・香取・鹿島三社は二十年を隔てて皆改造すべき旨あり
834 承和元年 嵯峨上皇行幸
850 嘉祥3年 文徳天皇、八十嶋祭を行う ※八十島祭記事の初見  (文徳天皇実録)
851 嘉祥4年 この年以前に、神階 正一位
857 天安元年 文徳天皇行幸(墨江紀略)
866 貞観8年 清和天皇、十一僧を遣して金剛般若経三千巻・般若心経三万巻を転読させる (日本三代実録)
898 昌泰元年 宇多上皇行幸 (扶桑略記)
醍醐天皇、八十嶋祭を行う (日本紀略・江家次第)
901 延喜元年 津守寺の建立か (住吉神社文書・墨江紀略)
904 延喜4年 醍醐天皇行幸 (帝王編年記・仁寿鏡)
905 延喜5年 『古今和歌集』成立
907 延喜7年 宇多上皇行幸 (西宮記)
908 延喜8年 醍醐天皇行幸 (帝王編年記・仁寿鏡・東寺五代記・立川年代記)
927 延長5年

『延喜式』成立 「摂津国住吉郡 住吉坐神社四座 並名神大 月次・相嘗・新嘗」 (延喜式)

928 延長6年 遷宮 (西宮記)
933 承平3年 朱雀天皇、八十嶋祭を行う (日本紀略・西宮記)
935 承平5年

この頃、紀貫之『土佐日記』 ※住吉の記事あり

937 承平7年 僧明達、藤原純友の調伏のため住吉神宮寺にて祈祷 (元亨釈書)
940 天慶3年

藤原純友・平将門の兵乱により奉幣(日本紀略・師守記)

947 天暦元年 村上天皇、八十嶋祭を行う (日本紀略・貞信公記抄)
968 安和元年 源満仲、住吉社参籠して神託を受ける (摂州河辺郡多田院縁起)
969 安和2年 円融天皇、八十嶋祭を行う (日本紀略)
986 寛和2年 花山上皇行幸 (栄花物語・後拾遺集)
1003 長保5年 左大臣藤原道長、住吉社参詣 (日本紀略・百練抄)
1004 寛弘元年 住吉社神人五十余人、摂津守藤原説孝を訴えて、平安京東北端の陽明門に乱入 (御堂関白記)
1008 寛弘5年 紫式部『源氏物語』この頃までに成立
1013 長和2年 三条天皇、八十嶋祭を行う (日本紀略・御堂関白記)
1014 長和3年 遷宮(日本略記)
1018 寛仁2年 後一条天皇、八十嶋祭を行う (小右記・左経記)
1034 長元7年 遷宮 (日本紀略)
1037 長暦元年 後朱雀天皇、八十嶋祭を行う (行親卿記)
1048 永承3年 後冷泉天皇行幸
1053 天喜元年

住吉社焼亡 (百練抄)

1069 延久元年 後三条天皇、八十嶋祭を行う (江家次第)
1073 延久5年 後三条天皇行幸 (扶桑略記・梁塵秘抄・愚管抄)
1081 永保元年 白河天皇行幸 (経信卿記)
1084 応徳元年 神主津守国基、荘厳浄土寺を建立 (住吉相生物語・墨江紀略)
1094 嘉保元年 遷宮 (中右記)
1100 康和2年 住吉社神人、天王寺大衆と闘乱 (中右記)
1103 康和5年 堀河天皇、八十嶋祭を行う (殿暦)
1109 天仁2年 鳥羽天皇、八十嶋祭を行う (殿暦)
1114 永久2年 遷宮 (中右記・殿暦)
1124 天治元年 崇徳天皇、八十嶋祭を行う (中右記目録)
1134 長承3年 遷宮 (中右記)
1143 康治2年 近衛天皇、八十嶋祭を行う (台記・本朝世記)
1152 仁平2年 鳥羽上皇御幸 (五代帝王物語)
1153 仁平3年 遷宮 (本朝世紀)
1157 保元2年 後白河天皇、八十嶋祭を行う (兵範記)
1160 永暦元年 二条天皇、八十嶋祭を行う (山槐記)
1165 長寛3年 住吉社と天王寺が阿部野の堺をめぐって相論 (山塊記・百錬抄)
1167 仁安2年 六条天皇、八十嶋祭を行う (愚昧記・兵範記)
1169 嘉応元年 高倉天皇、八十嶋祭を行う (愚昧記・兵範記)
1170 嘉応2年 道因法師藤原敦頼ら、七十五番住吉社歌合 (古今著聞集・住吉社歌合)
1171 承安元年 後白河上皇、御幸 西行法師ら随行 (山家集・夫木集・西行物語絵詞)
1174 承安4年 遷宮 (顕広王記)
1178 治承2年 平清盛、住吉社に願文を奉る (山槐記)
1179 治承3年 島津忠久、住吉社頭にて誕生 (島津氏正統系図)
1185 文治元年 平家追討に際して、住吉社本殿より神鏑が西方を指して飛び去った旨、奏状あり (吾妻鏡)
1187 文治3年 住吉社と天王寺の争論 (玉葉集)
1191 建久2年 後鳥羽天皇、八十嶋祭を行う (百練抄・玉葉集)
1194 建久5年 遷宮 (玉葉集)
1195 建久6年 将軍源頼朝、梶原平三景時を使者として奉幣、神馬を献上 (吾妻鑑)
1198 建久9年 後鳥羽天皇行幸
1200 正治2年 後鳥羽上皇御幸 (明題部類抄・増補和歌明題部類)
1201 建仁元年 土御門天皇・後鳥羽上皇行御幸、和歌御会を催す (明月記 皇年代略記 後鳥羽院熊野御幸記)
1204 元久元年 藤原定家の住吉社参篭、霊夢を感じ『明月記』を草す (毎月抄・消息書状)
1205 元久2年 土御門天皇、八十嶋祭を行う (百練抄)
1208 承元2年 後鳥羽上皇、住吉社歌合を催す (明月記)
1209 承元3年 将軍源実朝、夢想により和歌二十首詠進 (吾妻鑑)
1214 建保2年 遷宮 (百練抄)
1220 承久2年 順徳天皇、八十嶋祭を行う (仁和寺日次記・百練抄)
1221 承久3年 後鳥羽上皇御幸 (古今著聞集・津守氏系図)
神主津守経国、住吉に若松御所を造営 (津守氏系図)
1224 元仁元年 後堀河天皇、八十嶋祭を行う (明月記)
1230 寛喜2年 住吉社と天王寺と相論、闘争に及ぶ (明月記)
1231 寛喜3年 住吉社と天王寺と堺相論の評定あり (民経記)
1232 貞永元年 四条天皇、八十嶋祭を行う (続古今集)
1234 文暦元年 遷宮 (百練抄)
1247 宝治元年 後深草天皇行幸 (増鏡)
1251 建長3年 四条天皇行幸 (新後撰集・続後拾遺集)
1253 建長5年 後嵯峨上皇御幸 (後千載集)
遷宮 (松葉大記)
1260 文応元年 亀山天皇御幸 (松葉大記)
1264-75 文永年間 津守棟国『住吉太神宮諸神事次第』編纂
1274 文永11年 遷宮 (文永代始公事抄)
1284 弘安7年 亀山上皇御幸 (一代要記・続史愚抄)
1285 弘安8年 亀山上皇御幸 (宝躬卿記・新千載集・新拾遺集・新続古今集・続千載集・続史愚抄)
1294 永仁2年

亀山上皇御幸 (津守氏系図)

遷宮(帝王編年記)

1298 永仁6年 亀山上皇御幸 (津守氏系図・新後拾遺集)
1314 正和3年 遷宮 (松葉大記)
1324 元亨4年 後宇多上皇、住吉社御歌合を行う (中園相国御集・新千載集・続後拾遺集)
1333 元弘3年 後醍醐天皇、住吉社造営料足として唐船より二十万疋を充てる (後醍醐天皇綸旨)
1334 建武元年 遷宮 (松葉大記)
1336 延元元年 将軍足利尊氏参詣 (松葉大記)
1337 延元2年 神主津守国夏、後醍醐天皇より御車を賜わる (松葉大記)
1347 正平2年 住吉・天王寺の戦 (太平記、師守記)
1352 正平7年 後村上天皇行幸、神主津守国夏の館を行在所とする (太平記・園太暦・続史愚抄)
神主津守国夏、正三位に叙される (津守氏系図)
1354 正平9年 遷宮 (松葉大記)
1360 正平15年 後村上天皇行幸 (太平記・新葉集・鳩嶺雑事記・花営三代記)
この年より八年あまり住吉を行宮とする
1364 正平19年 将軍足利義詮、住吉社参詣 (住吉神社文書)
1368 正平23年 後村上天皇、住吉行宮にて崩御 (太平記・花営三代記)
長慶天皇、住吉行宮にて即位 (皇代記)
1374 文中3年 遷宮 (師守記、続史愚抄)
1388 元中5年 将軍足利義満、参詣 (松葉大記)
幕府、摂津和泉住人が住吉社神人と称して荏胡麻の専売をすることを禁ず (離宮八幡文書)
1394 応永元年 遷宮 (松葉大記)
1413 応永20年 遷宮 (水無瀬文書)
1434 永享6年 遷宮 (師卿記)
1446 文安3年 住吉社造営 (文安三年八月当社造営日記)
1449 文安6年 松月庵正徹、住吉社頭に参籠し百首和歌 (百首和歌奥書)
1467 応仁元年 神殿と神宮寺に凶賊が放火、被害は少なく炎上せず (松葉大記)
1469 文明元年 一休和尚、住吉に移り庵をむすぶ (一休和尚年譜)
1471 文明3年 遷宮 (住吉社再建願手続始末書上帳)
1493 明応2年 権神主津守国則、遊佐氏と姻戚にあったため上原元秀に撃たれる (後法興院記)
白洲弥次郎の放火によって本殿・末社・神宮寺などが火災に遭う (松葉大記)
1517 永正14年 遷宮 (松葉大記)
1521 大永元年 実硯庵、住吉法楽千句連歌両吟の興行 (実隆公記)
1542 天文11年 遷宮 (松葉大記)
1561 永禄4年 ルイス・フロイス『日本史』に住吉祭の見聞記録あり
1576 天正4年 本願寺勢が神殿に放火 (言継卿記)
1578 天正6年 織田信長、社家宅にて宿泊 (信長公記)
1588 天正16年 豊臣秀吉、大政所の延命治病を祈願 (住吉大社文書)
1594 文禄3年 豊臣秀吉、住吉郷内の二千六十石を神領と定める (住吉大社文書)
1602 慶長7年 豊臣秀頼、住吉社に所願成就を祈り一万句連歌を興行 (当代記)
1606 慶長11年 遷宮 (津守家盛記)
1614 慶長19年 大坂冬の陣、将軍徳川家康は住吉社神主宅を本陣とする (台徳院殿御宝紀)
1615 元和元年 大阪城方大野道犬、住吉社・正印殿や民家に放火 (駿府記、松葉大記)
1617 元和3年 遷宮 (和漢三才図会、摂陽奇観)
1623 元和9年 将軍徳川秀忠・家光、住吉社参詣 (松葉大記)
1655 明暦元年 遷宮 (松葉大記)
1663 寛文3年 神主津守国治、法橋如慶(土佐廣通)に住吉大神社繪所証文を出す (住吉家伝来記録類)
1672 寛文12年 後水尾上皇、勅によって国治神主の津守系図を奉覧させる (津守氏系図)
1673-81 延宝年間 霊元天皇、勅諚により住吉のわすれ草を献上させる (摂陽奇観・摂津名所図会大成)
1684 貞享元年 井原西鶴、住吉社頭にて大矢数俳諧二万三千五百句を独吟(大矢数俳諧)
1688-1704 元禄年間 この頃に梅園惟朝『住吉松葉大記』編著
1690 元禄3年 堺開口神社念仏寺、『大寺縁起』三巻成る
1694 元禄7年 松尾芭蕉、升之市に参詣「升かふて分別替る月見哉」 (摂津名所図会)
1704 宝永元年 住吉と堺の間に新大和川が掘削される  (摂陽奇観)
1709 宝永6年 遷宮 (摂州住吉社御造営記)
1717 享保2年 『住吉名所鑑』刊
1718 享保3年 『墨江紀略』刊
1723 享保8年 住吉御文庫の建立発願 (御文庫建立之図)
1727 享保12年 住友友昌、住吉社に石燈籠を奉納 以後、歴代住友家が石燈籠の寄進あり
1758 宝暦8年 遷宮 (宝暦正遷宮記)
1786 天明6年 俳人加部仲塗と妻吉女、大伴大江丸とはかり松苗勧進を開始 (松苗集)
1794 寛政6年 『住吉名勝図会』(秋里舜福撰、岡田玉山画)刊
1798 寛政10年 『摂津名所図会』(秋里籬島著、竹原春朝斎ほか画)刊
1802 享和2年 大田南畝(蜀山人)、医家蕪坊と住吉社頭の茶屋にて狂歌を書きつける (住吉紀行)
曲亭馬琴の住吉社参 (羇旅漫録)
享和の大火、住吉社焼失 (摂陽奇観)
1803 享和3年 光格天皇、昨冬住吉社焼失により奉幣使発遣、神主津守国禮に末廣を下賜 (摂陽奇観・摂津名所図会大成)
1809 文化6年 十返舎一九『東海道中膝栗毛』八編下の初刷、住吉にて完結する
1810 文化7年 遷宮 (摂陽奇観)
1844 弘化元年 前神主津守国礼、正三位に叙される (津守家譜)
1842 天保13年 大坂城代、幕命により住吉社の分霊を戴き、天保山(目印山)に住吉神社を創祀
1854 安政元年 安政の東南海地震 (末代噺の種)
1858 安政5年 孝明天皇、勅して国難防護・天下泰平のため神主津守国美に浜祈祷を修させる (住吉神社記録)
1864 元治元年 将軍徳川家茂、住吉社参詣 (住吉神社明細書)
1865 慶応元年 前神主津守国福、正三位に叙される (津守家譜)
―――明治以後―――
1868 明治元年 明治天皇行幸、神主津守国美の居館を行在所とする
大和川の堤が切れて住吉新家の大洪水
1871 明治4年 社寺領上地令の公布
官幣大社に列格
1872 明治5年 生根神社・大依羅神社・山坂神社・若松神社などが住吉社より独立
正印殿を用いて小学校会議所(後の墨江小学校)が開校
1873 明治6年 神仏分離にともない神宮寺の伽藍が取り壊される
住吉郡第二区公園地に定められ、境内地一円が公園地となる
1875 明治8年 旧境内地二十二町三反八畝一歩の内、二町一反一畝を境内地と定める
境内地五町八反九畝歩となる
1877 明治10年 明治天皇行幸
1878 明治11年 新町廓、御田植神事の植女の儀を再興
1878-79 明治11・12年 遷宮
1885 明治18年 南海電鉄、難波―住吉―大和川間を開通
1887 明治20年 昭憲皇后行啓
1897 明治31年 宝之市神事の再興
1899 明治32年 高野鉄道 道頓堀駅(現汐見橋)―大小路駅(現堺東)が開通
1901 明治34年 遷宮
1902 明治35年 住吉神社本殿、古社寺保存法により国宝指定
1903 明治36年 住吉公園に大鳥居建立
1906-7 明治39・40年 遷宮
1910 明治43年 上町線、天王寺西門前―住吉神社間が開通
1922 大正11年 貞明皇后行啓
1925 大正14年 住吉村、大阪市に編入
1929 昭和4年 夏越祓神事の再興
1931 昭和6年 境域風致改善工事の竣功
1934 昭和9年 室戸台風により境内各所に被害あり
1936 昭和11年 遷宮
1937 昭和12年 風水害復旧工事の竣功
1938 昭和13年 御結鎮神事の再興
住吉行宮跡、大阪府の史跡に指定
1939 昭和14年 住吉行宮跡、国の史跡に指定
1940 昭和15年 李垠王・同方子妃、御参拝
1944 昭和19年 南海地震、住吉公園の大鳥居が倒壊
1945 昭和20年 進駐軍の神道指令
1948 昭和23年 川端康成、短編小説『反橋』を発表
1950 昭和25年 ジェーン台風、境内や末社に被害あり
太刀「守家」銘、重要文化財に指定
1951 昭和26年 御鎮座1750年祭
1952 昭和27年 御田植神事、無形文化財に指定
神社本庁の包括法人となる
1953 昭和28年 住吉大社本殿四棟、国宝に指定
1954 昭和29年 『住吉大社神代記』、重要文化財に指定
1960 昭和35年 刀剣「小野繁慶」銘、重要文化財に指定
1961 昭和36年 遷宮、昭和天皇勅使の参向
1964 昭和39年 摂社大海神社本殿一棟、重要文化財に指定
1968 昭和43年 楽面「綾切」「抜頭」「貴徳番子」「皇仁庭」「秦王」「納曽利」、重要文化財に指定
境内樹木のクスノキ三本、カイヅカイブキ、ムクノキ、大阪市保存樹に指定
1970 昭和45年 昭和天皇皇后、行幸啓
1971 昭和46年 太刀「国輝」銘、刀「治国」銘を大阪府指定有形文化財に指定
1972 昭和47年 夏越祓神事、大阪府民俗文化財に指定
住吉神宮寺跡、大阪市顕彰史跡に指定
1974 昭和49年 南門・東楽所・西楽所・石舞台の四棟、重要文化財に指定
1978 昭和53年 太刀「有続」銘(陰陽刀)、剣「吉道」銘、大阪府指定有形文化財に指定
1979 昭和54年 御田植神事、国の重要無形民俗文化財に指定
1981 昭和56年 御鎮座1770年式年大祭
1982 昭和57年 堺大魚夜市の再興
1984 昭和59年 火縄銃「野田善清尭」銘、大阪府指定有形文化財に指定
1986 昭和61年 住吉ゆかりの花「卯の花苑」の造成
1989 平成元年 大阪みどり百選に「住吉大社と太鼓橋」を選定
1991 平成3年 遷宮、御鎮座1780年式年祭
1995 平成7年 阪神大震災、石燈籠など倒壊・破損あり
1996 平成8年 宝之市神事、「升の市」の復活
1997 平成9年 末社浅澤神社、かきつばた苑の造成
1999 平成11年 南高蔵・北高蔵・招魂社本殿・住吉松葉大記、大阪府有形文化財に指定
2001 平成13年 御鎮座1790年祭
住吉大社境内、大阪市指定文化財の史跡に指定
2003 平成15年 住吉大社、大阪市指定景観形成物に選定
2005 平成17年 住吉祭、人力による神輿奉舁が四十五年ぶりに復活
2006 平成18年 住吉祭、大和川における神輿の川渡り再興
神館、国の登録文化財に選定
2007 平成19年 住吉大社・住吉公園、「美しい日本の歴史的風土百選」に選定
日中交流1400年記念国際シンポジウム「住吉津より波濤を越えて」開催
2008 平成20年 源氏物語千年紀記念「住吉能」開催
2009 平成21年 遷宮
「住吉大社」「住吉祭」「御田植神事」「初辰まいり」、大阪ミュージアム登録物に認定
2010 平成22年 特別展「住吉さん―住吉大社1800年の歴史と美術―」開催(大阪市立美術館)
2010 平成22年 第一本宮渡殿及び幣殿・第二本宮渡殿及び幣殿・第三本宮渡殿及び幣殿・第四本宮渡殿及び幣殿・摂社大海神社渡殿及び幣殿・摂社大海神社西門・南高蔵・北高蔵・末社招魂社本殿(旧護摩堂)・住吉松葉大記、重要文化財に指定
2011 平成23年 御鎮座1800年記念大祭

遷宮年表

いにしえより続く住吉大社の式年遷宮の歴史について紹介します。

住吉大社遷宮の記録は「天平勝宝元年造住吉社」(興福寺年代記)とあるのが初見であり、次いで「延長6年 今年住吉 遷宮」(扶桑略記)「長和3年中略今年住吉社遷宮」(日本紀略)と見えますが、弘仁、延喜当時20年一度の遷宮が「積習」となっていましたので「天平勝宝元年」を記録による第1回とすれば、延長6年まで10回を数え、さらに長和3年まで4回を数えることができます。

以後、平安鎌倉時代を通じ室町時代の永享6年(後花園天皇)まで20年一度の遷宮は厳重に守られたことが記録に明瞭であります。

第1回 749 天平勝宝元年 興福寺年代記
第10回 928 延長6年 貞信公記抄・扶桑略記裡書
第14回 1014 長和3年 日本記略
第15回 1034 長元7年 日本記略
第16回 1053 天喜元年 百錬抄
第17回 1074 承保元年 永昌記
第18回 1094 嘉保元年 中右記
第19回 1114 永久2年 中右記
第20回 1134 長承3年 中右記
第21回 1153 仁平3年 本朝世紀
第22回 1174 承安4年 顕広王記
第23回 1194 建久5年 和漢合符
第24回 1214 建保2年 百錬抄
第25回 1234 文暦元年 百錬抄
第26回 1253 建長5年 永享6年8月記・続古今和歌集
第27回 1274 文永11年 文永代始公事抄
第28回 1294 永仁2年 帝王編年記
第29回 1314 正和3年 花園天皇宸記
第30回 1334 建永元年 永享6年8月記
第31回 1354 正平9年 永享6年8月記
第32回 1374 文中3年 師守記・永享6年8月記
第33回 1394 応永元年 東寺百合文書・永享6年8月記
第34回 1413 応永20年 水無瀬文書
第35回 1434 永享6年 師卿記・永享6年8月記
第36回 1517 永正14年 津守則氏御殿修理日記
第37回 1542 天文11年 住吉神社旧記
第38回 1606 慶長11年 慶長11年津守家盛記
第39回 1617 元和3年 松葉大記
第40回 1655 明暦元年 棟札
第41回 1709 宝永6年 宝永5年御造営記所引棟札
第42回 1758 宝暦8年 摂陽奇観
第43回 1810 文化7年 摂陽奇観
第44回 1878、9 明治11、12年 住吉大社文書
第45回 1901~7 明治34年~40年
第46回 1936 昭和11年
第47回 1961 昭和36年
第48回 1991 平成3年
第49回 2011 平成23年

住吉大社について