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名所旧跡

名所旧跡

名所旧跡
 




四角柱の鳥居であるため、角鳥居 (かくとりい) とも呼ばれています。このような四角柱の柱は古い様式で大変珍しく、各本殿と拝殿の間に建っている木造朱塗りの鳥居が原形となっています。

※題額は陶製。有栖川宮幟仁親王の筆による

 


住吉の象徴として大変有名で太鼓橋 (たいこばし) とも呼ばれ石の橋脚は慶長年間に淀君が奉納したものであるといわれております。昔は、この橋の近くまで波が打ち寄せられていたそうです。川端康成が、小説『反橋』で「上るよりもおりる方がこはいものです」と書いたことでも知られています。夜は21時までライトアップされ、関西夜景100選にも選ばれています。

この橋を渡るのは、神さまに近づくのに罪や穢 (けが) れを祓 (はら) い清めるためです。反っているのは、地上の人の国と天上の神の国とをつなぐ掛け橋として、虹にたとえられていました。

 

手水舎

手や口を洗うのは、身体や心を清浄にするためです。昔は水につかって清める禊 (みそぎ) を行っていましたが、今は簡略化して手と口を洗うだけで、全身を清める象徴にしています。ウサギの口から水が注がれているのは、神功皇后がお祭りされた日が卯歳(うのとし)卯月(うづき)、卯(うのひ)であることから、ウサギと深い結びつきを象徴したものだといえます。

 

石舞台

舞楽を奏でるところです。慶長年間に豊臣秀頼によって奉納され日本三舞台(住吉大社・厳島神社・四天王寺)のひとつでもあり、重要文化財に指定されています。毎年5月の卯之葉神事では、雅びでおごそかに舞楽が行なわれます。



神楽殿

 

神楽を奉納する場所です。特に住吉大社は、伝統ある神楽として、神楽女の行なう神降 (かみおろし) ・倭舞四段・熊野舞四段・白拍子・田舞 (やおとめまい) などが伝承されています。

 

授与所

 

お札やお守りを授与するところです。巫女や神職が毎日9:00~16:30まで駐在していますので、祈祷などのご相談も気軽にお尋ねください。

 

時計塔

北の乾参道入口で、住吉大社記念館の近くにある大きな時計塔です。住吉ライオンズクラブがチャーターナイト25周年記念として奉納し、昭和61年12月25日に建立されました。



御田

約20アール(約600坪)の田んぼです。6月14日の御田植神事は、ここで行なわれます。実際に苗を植え、稲刈りまで通している御田は全国でも少なく、カモによる無農薬栽培を行なっています。



石燈籠

全国の各業者から奉納された境内の燈籠は、約600基あります。当時は、海上守護の祈願をこめて寄進したもので、広告塔としての意味合いが強かったといわれており、優雅で大きな形をしたものが多いです。また題字は名筆家に刻んでもらったと伝えられています。



五所御前

第一本宮と若宮八幡宮との間にある、杉樹が石の玉垣の内に立っている場所です。むかし、神功皇后が住吉大神をお祭りするための土地を求められたとき、この杉の木に白サギが3羽きて止まったので、ここへお祭りしたと伝わる聖地です。別名を「高天原 (たかまがはら) 」ともいい、神霊をおむかえするミアレ所でもあります。毎年5月の住吉大社創立記念の祭、卯之葉神事では、卯の葉の玉串がささげられます。

石の玉垣のなかにある砂利には「五・大・力」と書かれた小石があり、これを集めてお守りにすると心願成就のご利益があります。



誕生石


 

源頼朝の寵愛を受けた丹後局 (たんごのつぼね) がここで出産した場所と伝えられ、その子が薩摩藩「島津氏」の始祖・島津忠久公です。

丹後局は源頼朝の寵愛を受けて懐妊したが、北条政子により捕えられ殺害されるところを家臣の本田次郎親経(ほんだじろうちかつね)によって難を逃れ、摂津住吉に至った。このあたりで日が暮れ、雷雨に遭い前後不覚となったが、不思議なことに数多の狐火が灯り、局らを住吉の松原に導いてゆき、社頭に至った時には局が産気づいた。本田次郎が住吉明神に祈るなか局は傍らの大石を抱いて男児を出産した。これを知った源頼朝は本田次郎を賞し、若君に成長した男児は後に薩摩・大隅二か国をあてられた。これが島津氏初代・島津三郎忠久公である。この故事により、住吉社頭の力石は島津氏発祥の地とされ「誕生石」の聖地に垣をめぐらせ、此の小石を安産の御守とする信仰が続いている。

 

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